ローザンヌに来て早3ヶ月が過ぎようとしている。
IOC(国際オリンピック委員会)が中心となって設立したAISTSの授業も半分が終了した。
サッカーで例えると前半戦が終了した感じだ。
現在は、イースターブレイク中であり、大学院も1週間の休みが与えられる為、クラスメイトは家族と過ごす為に自国へ帰っている。
イースターとは、「復活の主日」と言われることもあり、キリスト教の典礼歴における最も重要な祝いの日である。事の経緯は、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念することから始まった。
私はというと、4月から始まる後半戦に向けて、自分が足りなかった点を強化する為、そして、後半戦に向けてよい準備をする為、ローザンヌで日々能力アップに励もうと思う。
従って、前半戦の感想を簡単に振り返っておきたい。
前半戦を終えて強く思うのは、「グローバルリーダー」になる為には相当な努力が必要だという事。
そもそも日本で最近よく耳にする「グローバルリーダー」の定義とは何なのか?
この話に及ぶと、昨年、サッカー協会の先輩と日本で飲んでいる時、何気なく聞かれた質問をよく思い出す。
「国際化とグローバル化」の違いについてわかるか?
当時、私は、即答できなかった。
Wikipediaによると、「国際化とグローバル化」の違いについて以下のように説明されている。
「国際化が国家間に生まれる概念であり、その基本的単位はあくまでも主権国家であるのに対し、グローバリゼーションは「世界」を一体的なシステムと考え、主権国家を必ずしも前提としていない点が異なる[3]。つまり、国際化社会においては国境の役割は依然大きく、たとえばヒトやモノが国境を通過することは監視すべきものとされるが、グローバリゼーションにおいてはそもそも文物の国境通過は必ずしも監督すべき事項ではなく、そこにおいて秘匿性を保持することが、前提となる価値観のひとつとして重要視されるのである。」
難しく書かれているが、簡単に言うと国際化とは「日本」を中心にして、そして、グローバル化とは「世界」を中心にして物事が考えられている事だと解釈している。
例えば、日系企業で海外に駐在している日本人リーダー、私は、その方を「グローバルリーダー」と呼べるかといったらはたしてどうか?と考えてしまう。
これは、私も同じで、クラスメイトとのプレゼンテーションで、「日本スポーツの歴史」については、リーダー的な役割でうまくグループの中心的な存在になれるが、それ以外のプレゼンに関して、リーダー的な存在になることができなかった。ネイティブ並みの英語力、その英語力で考えるスピード、そして、欧米の文化をわかっていないと話に入っていけない。
つまり、何が言いたいかというと、「国際的なリーダー」にはなれるかもしれないが、「グローバルなリーダー」にはなる事は相当難しいという事。少なからず、日本人という事がアドバンテージで働いている限り「リーダー」として考えられることは難しくないが、「日本人」がアドバンテージに働かない、つまり、欧米人と同じポジションで「リーダー」として考えられるのは相当難しいし、そういう日本人こそ「真のグローバルリーダー」だと思う。
IOC及びIFsに日本人職員がほとんどいない事実がこの点の難しさにあると思うし、反対に、日本人職員がほとんどいない点が、「日本の国際スポーツ界での地位の低さ」を表しているのではないかと最近よく考える。
後半戦は、「真のグローバルリーダー」を意識して、授業に貢献していきたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿